熊本県

熊本市

加藤清正公が築城した熊本城へ。隈本から熊本に改称した理由は?【熊本の旅】

肥後国誌に隈本の由来そして隈本から熊本に改称された理由が書かれています。少し長いですが引用します。肥後国誌でも俗説と断っているので本当のところどうだったのかはわかりません。『阝に畏れる』を縁起悪いと考えた理由は何となく理解できます。『熊』は強くて勇ましいという印象からでしょうか?
山都町

布田保之助が命を懸けて完成させた通潤橋の歴史について【熊本の旅】

通潤橋は江戸時代後期に用水確保を目的として築造された石橋です。白糸村(現・山都町)には緑川という大きな河川が流れています。しかし川は深い谷の底を流れていたため用水の確保に大変苦労したそうです。そこで惣庄屋の布田保之助(惟暉)は用水橋を架け谷の対岸から水を導こうと考えたのでした。
美里町

重要文化財の霊台橋を歩く。名前に霊が付いてますけど怖い意味はありません!【熊本の旅】

1845年、惣庄屋に就任した篠原善兵衛が石橋の架橋を計画します。施工者は大工棟梁の伴七、種山村の石工である卯助、その兄弟の宇市、丈八。地元の民衆です。工事は1846年に開始され6~7ヶ月後、翌年の1847年に落成、渡初が行われました。梅雨や台風を避けるためかなり急ピッチで作業が行われたそうです。
熊本市

神風連の乱とは?かれらは何を思って明治政府に戦いを挑んだのか【熊本の旅】

1876年(明治9年)10月24日、神風連の乱は起きました。元肥後藩士の太田黒伴雄、加屋霽堅、斎藤求三郎が率いる神風連は明治政府に戦いを挑みます。熊本鎮台の司令長官や県令を襲撃し、その後熊本鎮台へ向かいます。神風連は奮戦するも…。次第に追い込まれ相次ぐ指導者たちの戦死により瓦解しました。
小国町

砦に拠るを読む。蜂の巣城紛争と室原知幸について【熊本の旅】

下筌、松原ダム建設を巡って起きたダム反対運動、蜂の巣城紛争。蜂の巣城紛争はダム水没地区の住民・室原知幸が中心となり、国に対して果敢に挑みました。それでは、蜂の巣城紛争について書かれたノンフィクション小説『砦に拠る』に沿って、どのような戦いだったのかを見ていくことにしましょう。
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