関東地方

足尾町

過疎化まっしぐらの足尾町…。銅山と鉱毒事件の歴史について【栃木の旅】

かつては銅山の町として栄え鉱毒事件で有名になった日光市足尾町。1916年の最も栄えていた時期の人口数は38428人。そして現在人口はなんと1772人。若者は早々に都市部に出てしまい、残っているのは高齢者ばかりの過疎地です。父の出身地でよく訪れていただけに今後どうなってしまうのか気になるところです。
みどり市

B級スポットで有名なけさかけ橋と小中大滝自然公園の落差96mの大滝を見に行った【群馬の旅】

小中大滝は国道122号線の小中の信号を山方面に向かってしばらく進んだ先にある小中大滝自然公園の中にあります。この公園は遊水地になっていて夏場になると子連れの家族、カップルなどで賑わいます。また滝へ向かう途中のけさかけ橋は変わった吊り橋で有名。B級スポットとして知られています。
沼田市

パワースポット!日本三大天狗の一角、迦葉山弥勒寺について【群馬の旅】

拝殿の中には天狗のお面があります。ここでは独特な参拝のルールが存在します。・拝殿で天狗面を借りる↓・願いが成就したらお礼参りに行く↓・最初に借りた天狗面と新しい天狗面を借りて合せて奉納↓・最後にまた新たに天狗面を借りて帰る↓・これを延々と繰り返す
下仁田町

下仁田百庚申めぐりのついでに庚申信仰について調べてみた。【群馬の旅】

日本各地の山奥や田舎の道端で見かける庚申塔。最初は読み方も意味も知らずただただ通り過ぎていましたが、あるとき気になって調べてみるとこれがなかなかおもしろい。日本特有の民衆宗教や風習がおもしろく時間を忘れて勉強していました。今回は庚申について理解したことを自分なりに説明できればと記事にしてみました。
渋川市

日本の滝百選に選ばれる棚下不動の滝が予想以上に素晴らしかった件【群馬の旅】

以前はこの鳥居が棚下不動の滝への登山口でしたが、東日本大震災の影響で道が崩落してしまいました。当時(2015年)、棚下不動の滝は立入禁止でした。私は立入禁止禁止の看板が見えないところから登ってしまって下山して気付いた始末です。2019年3月28日に散策路が復旧され滝まで行けるようになったそうです!
藤沢市

なんで江の島に陸軍大将・児玉源太郎由来の神社があるのか調べた【神奈川の旅】

幕末期に海外からの圧力を受け日本国内は混沌に満ちていました。様々な思想が入り乱れ、奪い奪われ、殺し殺され、犠牲を払い、纏まりつつある日本。そんな日本を虎視眈々と眺める世界。時は明治。判断を見誤れば即植民地の緊迫状態。このような時期に生を受け、混乱の中に育ち、後に世界を相手に戦う漢の話です。
港区

江戸無血開城!江戸の町を戦禍から救った歴史的会談が行われた場所は?【東京の旅】

旧幕府方は山岡鉄舟を駿府にいる西郷隆盛の下に派遣。内交渉を行います。その後、江戸にて西郷隆盛と勝海舟の交渉が二度行われます。二度目の交渉地が『江戸開城 西郷南洲 勝海舟 會見之地』の碑がある江戸薩摩屋敷跡(現・三菱自動車工業 本社ショールーム)だったと伝わります。(諸説あり!)
港区

乃木希典は本当に愚将なのか?明治天皇に殉じた彼の人生を振り返る【東京の旅】

明治時代に活躍した将軍・乃木希典は愚将、凡将と評されることが多いです。私もこの時代に興味を持ち小説や映画を見始めた頃は『このおっさん、兵に突撃ばかりさせて酷い指揮官だな…。』なんて思っていました。しかし調べていくうちに一概に無能と評価されているわけではないということを知り、乃木大将に対する見方が変わっていきました。
太田市

新田義貞ゆかりの遺跡巡り!荘園と武士の誕生について【群馬の旅】

新田義貞は南北朝時代に活躍した群馬県出身の武将です。腐りきった鎌倉幕府を攻め滅ぼすという偉業成し遂げますが、天皇やその取り巻きに田舎武将と虐げられ、ライバルの足利尊氏に敗北し彼が室町幕府を開いたため咬ませ犬的な扱いになっています。そんなわけで現在の評価はかなり低く、愚将とか凡将とか散々いわれています。
横須賀市

戦艦・三笠とは?日本海海戦を勝利に導いた漢たちについて【神奈川の旅】

日露戦争の日本海海戦で活躍した戦艦・三笠は復元され横須賀の三笠公園内に記念艦として見学できます。まずは記念艦・三笠の様子をお伝えし、そのあと日露戦争時に乗船していた連合艦隊司令長官・東郷平八郎や参謀・秋山真之などの人物紹介をしていこうと思います。それでは参りましょう!
藤沢市

江の島のチューリップ庭園『サムエル・コッキング苑』へ行く!【神奈川の旅】

1880年、イギリス人貿易商のサムエル・コッキングさんが江の島に屋敷を構え、江島神社に譲り受けた菜園を和洋折衷の庭園に作り替えました。それは『コッキング植物園』と呼ばれ大温室が設置され海外から輸入された珍しい植物がたくさん植えられていたそうです。コッキングさんは1914年に亡くなりました。